ラ・ミゼリコルディア LA MISERICORDIA

Arciconfraternita_della_misericordia,_viewOrigine_della_Compagnia_della_Misericordia_in_Firenze

フィレンツェ市民が病気や災害はもとより、不慮の事態が生じたときに何時でも協力
して対応するボランティア活動組織、それが「ラ・ミゼリコルディア」である。
今日も「花のサンタマリア寺」のドームに陽が当たり始めたが、まだ町の喧騒は始まっ ていない。清掃車が行ってしまうと救急車が早々と整列する。ここはフィレンツェ市の中 心地、ルネッサンスの花ともいえるブルネレスキのドーム、ジョットの鐘楼の右隣りであ る。教会建築の素晴らしさに圧倒され、誰もその足元の建物には目が行かない。しかし、 この教会と同時代に生まれ、教会と共に今も活躍しているボランティア組織、「ラ・ミゼ リコルディア」(1244)の本部はここにある。現在は隣りのロッジャ・デル・ビガルロ (1352)と共に本部の二階は資料室(museo)になっていて、あまり訪れる人もない気配だ が、ここにもボランティアの老人が控えており、快く迎えてくれた。 資料を見ていくうちに、この組織は正にフィレンツェの歴史と共にあり、市民が経験し てきた辛い時代を全て記録していることがわかってきた。ペスト、飢饉、コレラ、チフス、 スペイン風邪、洪水、爆撃---と中世・ルネッサンス以来なんと750年に渡って、キリスト 教精神に則った兄弟愛のもとに、教会員の相互扶助の組織としてフィレンツェ市民に受け 継がれてきた。 教会のドーム、鐘楼そして洗礼堂にも陽があたる頃、車の動きも激しくなる。溢れるほ どの観光客のすぐ側では、既に町のドラマが始まっていた。ごみ箱に臍の緒がついたまま の新生児が捨てられていた。年金を郵便局で受け取った老人が襲われ、全額盗まれた上、 怪我をして立てない。橋のたもとに麻薬常習者らしい若者が昨日から動かないでいる。 次々と電話は鳴り響き、LA MISERICORDIAの救急車は既に出動していた。
一体何時から「ラ・ミゼリコルディア」はどのようにして始まったのだろう ?                            「あの時はフィレンツェの住人は半分以下になっていたでしょうか。どの家で もペスト患者が日を追って増えていき、次々と死者が出ると、その家族は恐怖のあまり、 死者を埋葬する余裕もなく、早々に皆郊外に逃げていきましたから、町中死臭に満ちてい ました。---」と言葉を置いて、資料を持ってきてくれたのは Don Forest Nicolai 修道 士である。どうやら、この話はイタリア中世・ルネッサンス時代の「デカメロン」ボッカ チオの書きだしに出てくる情景で、1348年の事である。「家々に置き去られたり、道端に 倒れている死者を棺桶に入れ、黒装束の修道士と街の人数人で、鐘を鳴らしながら、街を 抜け、共同墓地へ運んでいきました。」社会機能が既に麻痺していた中で始められたこの ボランティア活動はその後も営々と受け継がれた。亡くなった市民の資産の一部が寄付さ れ、この組織に加えられることによって、ボランティア活動は益々充実していった。そし て「ラ・ミゼリコルディア所有」の墓地が先ず出来上がり、次第に独自の組織がトスカー ナ地方全域に広がった。 一修道士によって始められたこの活動が時の有力者の協力を得て、立派な街の組織とし て定着したのは13~4世紀即ちダンテやボッカチオの頃といわれる。記録をたどると本組 織の設立は1244年というが、同時は救貧と埋葬が主な活動であった。黒頭巾に黒装束、そ して鐘を鳴らしながらの葬儀は疫病が流行したときからという。黒頭巾こそないけれども、時代が変わっても救援活動をする姿は今も昔も変わらない。
現在はどのようなボランティア活動をしているのだろう ?
次の仕事がラ・ミゼリコルディアの日常業務である。
1. 看護婦と救急車の派遣
2. 24時間体制でイタリア国内及び外国へ救急輸送
3. 24
時間体制で医師を含む救急チームの派遣
4.
自宅訪問し看護支援
5.
介護の必要な老人への電話相談
6.
専門医の診療サービス
7.
最新機器による人工透析サービス
8. 災害時には独自チームによる救援
9. 身障者に医療器具(松葉杖、歩行補助具、車イス、その他)を無料貸与
10.
養老保護施設運営
11. 献血サービス
12.
スポーツ及び文化活動の支援
13. 青少年及び高齢者に健康指導
14. 不慮の事故死による遺体輸送
15.
ラ・ミゼリコルディア登録会員葬儀時の輸送
16.
ラ・ミゼリコルディア所有墓地へ埋葬

いったいどんな人がボランティア活動をしているのだろう ?
まず、常任監視委員は全部で72名、この構成はカトリックキリスト教司祭20名、そ の上位聖職者10名、貴族(昔からの家系を維持している人)14名、それに商工業経営 28名からなっている。常任委員の任期は4カ月、常任監視委員長は選挙で選ばれ、そ の任期は1年となっている。このように任期が短い理由はかなりの額の寄進があった場合、 未然に不正を防ぐためだという。ともかくこの72名がラ・ミゼリコルディア運営、財政 等の全責任を負っており、かつてのメンバーの中にはメディチ家を初めとして歴代の名士 そしてイタリア国王の名も見られる。もちろん全員無給のボランティア活動である。 ラ・ミゼリコルディア自体を運営維持するスタッフは80名。共同墓地、養老院、財産 管理等に携わっている。彼らはボランティアではなく、一般事業体と同じく給与支給され ている。1994年現在のボランタリーの人々は次の通りである。
登録会員数 13864
一日当たりの実働数 1629
カトリック修道士数 40
一日当たりの実働ボランタリー数 329
ボランタリー志願者数 114
退職者によるボランタリー実働者数 632
全ボランタリー登録者数 10950
専門医師数 98
上記のボランティア活動は日常一日当たり一時間が標準である。従ってボランタリーは各
自の日常生活の中で奉仕活動が出来る時間を前もって登録しておく。医師の活動に対して
は有料であるが、通常料金の五分の一から十分の一とのこと。
運営資金はどこから出ていて、税金面はどうなっているのだろう ?
本部の玄関を入るとすぐ壁面の大理石版に刻み込まれた1300年代以来各年度毎に多額寄付を寄せた人名簿一覧が目に入る。従ってこの蓄積額は巨大なものであり、基本的にはこれら長年月に蓄積された動産不動産を72人の監視委員会が運営している。その中には数々の大邸宅、美術品、養老院施設等があり、そしてなによりも共同墓地はこの組織の大きな財産である。フィレンツェ市民として少なからずここに世話になり、協力してきた人々はその生涯を終えるときには喜んでその資産の一部を遺産としてここに残す。しかし、これだけが全てではない。本組織が最も効率的かつ経済的であると判断し、救急活動毎に市及び州はその費用の一部負担をしている。もちろんその援助資金が本組織に入ってくる
のは地方自治体の常で数年先のことではあるが。そしてなんといっても驚くべきことはムッソリーニ時代を除いて数百年来、本組織は納税免除されていることであろう。

ラ・ミゼリコルディアがこのように長年月維持される秘密は何だろう ?
それは3つの精神に尽きるという。
1. 各自の善意
2.
与え或いは与えられるサービスは完全無償
3. サービス提供者の匿名
これは言うまでもなく、聖書の「よきサマリア人」(苦しみ悩む人に暖かい援助を差しのべる人)の兄弟愛の現れであることは今も昔も変わらない。 しかし何故かくも長年月に渡ってこの組織は維持されているのであろう。ここには表には現れないイタリアの歴史的地政学的事情が隠されている。現在のイタリア国家が成立する以前、ここはフィレンツェ共和国、トスカーナ公国、イタリア王国と名前こそ変われど、かつてのルネッサンス文化の花を咲かせるに留まらず、時代を越えてそれを今日まで維持してきたことを考えるべきである。これは市民の強烈な郷土帰属意識に支えられた地域社会があってこそ可能である。一面、他所者に対する排他性にも繋がるが。地域社会の結束を固めていく一つの現れが相互扶助であり、どのような社会態勢になろうとも維持できる社会福祉組織という形をとったのであろう。
一方、フィレンツェ史のどの時代を見ても、平穏な時代が続くとどうしても貧富の差が大きくなり、そこに社会不安が起こりやすくなっている。富める者は寄付を慈善活動をと 多くの貧しき者に施し、地域社会の崩壊を食い止める努力をしてきたであろう。両世俗間 の軋轢緩衝に教会も加わり、富める者が姿を消してもその資産は地域社会に受け継がれて いった。これらの広大な邸宅、豪華な調度美術品、膨大な資産の蓄積は今やフィレンツェ 市民の宝である。この文化の継承の一部に「ラ・ミゼリコルディア」は位置している。 もう一つは地域社会の共通意識を支えている「聖書」の世界が今も健在であることであろ う。ラ・ミゼリコルディアのボランティア活動をする条件の一つはLAICI(洗礼を受けた一 般キリスト教徒)であることである。かつてはキリスト教も熱狂的な時代があったが、現 在は生活文化の一部となっている。こうしてみると、これほど社会的事件の多い、またあ る意味で混沌とした社会にあって、市民が生き抜いていく知恵として、更に社会機構とし て定着した福祉組織が存在するのもあながち理解困難ではない。 教会ドームのシルエットが長くなる頃となり、ボランタリー諸君の交代の時間である。
()   中田吉彦