AsclepioAesculapiu-1

ローマ市内を南北に大きく蛇行して流れるテベレ河沿いにティベリーナ島(09)がある。 長さ270 m、最大幅67 m の島は船の形を辛うじて留めており、両岸からローマ時代の橋(04)が架けら れて、現在も当時の面影を残している。その島の一角に蛇の巻きついた杖Bastone di Asklepion/Aesculapius/Asclepio/Esculapio のレリーフ(08)が見られる。これが医療や医 術の象徴のシンボルマークとして世界的に広く用いられているのは言うまでもない。 中世期の版画から想像すると、ローマ時代のティベリーナ島は2つの神殿を持つ舟形の建造物 であったようだ(0103)。このように古くから知られている割には、実際に見る機会は 少ないが、実物に接してみると、島の東側の舷側部に蛇の巻きついた杖のレリーフ(070 9)があり、アスクレピオス像(02)があったと思われるところには輪郭だけが残されてい る。18世紀のピラネージ(piranesi)の版画(06)では左舷部にアスクレピオス像がはっ きりと表現されている。
紀元前3世紀ローマではペストが大流行しており、ローマの元老院は、疫病の蔓延を防ぐ目的
で、ギリシアの医神アスクレピオスの分祀を得るための使節団を送った。
彼の像と象徴である聖なる蛇を乗せてテベレ河を上行しティベリーナ島に差し掛かった時に、蛇
は泳いで島に渡ったと伝えられている。蛇は神聖な生き物でアスクレピオスの化身と考えられ、
また蛇の脱皮は再生のシンボルと考えられていた。
その後、ペスト流行は退潮して、紀元前 293 年、既存のヴェディオヴィス Vediovis 神殿の東側に、 アスクレピオス神殿(05)が建てられた。現在残されているティベリーナ島のアスクレピ ス像レリーフ(070810)はその当時のものといわれる。 当時の施療は神殿内の聖水(井戸水)を使った極めて呪術的なものであったと想像される。 ローマ帝国衰亡期にはこれら神殿もキリスト教会化とともにその姿を失ったが、神の奇跡を信じ る信者たちは後を絶たなかった。1011世紀には大規模な建替えが行われ、キリスト教の聖 (San Bartolomeo)が祭られるようになった。更に聖水による施療は神の秘跡として受け継が れた。このようにギリシャ伝来の医神アスクレピオス信仰はキリスト教カトリック信仰へと融合 し、連綿と「治療の場」として機能したのである。そして16世紀以来、ティベリーナ島の神殿 跡にはファーテベーネフラテッリ Fatebenfratelli 病院が設けられ、現在もその役割を果たして いる。
ところで、医療や医術のシンボルとなっている医神アスクレピオスの蛇の巻きついた杖だが、 その本当の起源は旧約聖書に登場するヘブライ人のエジプト囚われの頃に遡ると云う。ヘブライ 人の間では皮膚寄生虫の一種フィラリア(filaria di Medina/Dracunculus medinensis/Guinea worm/糸状虫、メジナ虫)が蔓延してその病気に悩まされていた。その寄生虫の治療法として開発 されたのが、棒状の小木片にフィラリアを巻き付けて駆除する物理療法であった。つまり一匹づ つ丁寧に途中で切れてしまわないように注意深く皮膚の表面から引き出すと云うということであ る。しかもこの方法が当時最も勝れた駆除法と記録されている。 フィラリアと木片棒の取り合わせは蛇と杖のイメージに拡大されたが、一方デザイン的に混同 されるのはギリシア神話のヘルメース神が携える杖「ケーリュケイオン」である。こちらは杖に二 匹の蛇が巻き付き、その上に二枚の翼がついている。医神アスクレピオスやヘルメース神の話は別 の機会に譲るとして、このフィラリア物理療法がどのようにして医神アスクレピオスの蛇に繋 がっていくのかは定かではないが、一つだけ確かなのは、彼の杖に巻き付いている蛇は二匹では なく一匹であるということだろうか。

文責 なかだ よしひこ