森山医師へのインタビュー

欧州日本人医師会 初代会長 森山隆弘医師 をご紹介しましょう。Dr.Moriyama

Q.ドイツで医学を学ぶことになった経緯は何ですか?
A.12歳のとき偶然見雑誌でハイデルベルグの古城写真を見て、ほれ込み、ここへ行きたいという思いがありました。これが第一印象です。そして14歳のときキリスト教徒になり、ドイツで医学を勉強したいと思いました。麻布中学・高校の近くのにある西ドイツ大使館に行き、西ドイツの日刊紙の住所をいただいて将来ドイツで勉強したいこと、援助してくれる人はいないかという旨を書いた手紙を送り、日刊紙の広告欄へ記載してもらいました。(当時は外国へ送金することがほぼ不可能で、仮にできたとしてもそんなお金はなかったのでこうするしかなかったそうです。)偶然ただ1社が広告を出してくれ、さらにただ1人広告を見た戦後シベリアに戦犯として収容所にいたドイツ人から、当時同じ戦犯であった日本人と非常に親しい経験を持っていたそうで、彼のほうから日本人を助けたいということで返信をいただき、英語で文通を始めました。18,19歳まで続け信頼関係を築きました。日本の医学部時代、夏休みにドイツ語勉強のためにドイツに行くことを親に相談するも反対されたため、親に内緒でパスポートを取り(当時は今と違い1回きりのものしかなかった)、コツコツと貯めた小遣いで当時一番安かったシベリア横断鉄道の“片道切符”で(それしか買えなかったため)ヨーロッパへ入り、ゲーテ協会に入りドイツ語の勉強とアルバイトをしながらドイツのボン大学医学部へ入学しました。

Q.文通の手紙が定期的にドイツから送られてくることに親は何か言わなかったのですか?
A.当時親は英語が読めなかったので、文通の友達からの手紙だというと納得して問題ありませんでした。ただし、その他女の子からの手紙には厳しかったそうです。

Q.大学時代はどうでしたか?
A.1stセメスターは全く分からず困ったものの、2ndセメスターあたりからだんだんわかり始め、徐々に何とかなるようになってきました。当時ドイツの国家試験は口頭試問で14科目を半年間かけて行うので大変でしたが何とか修了することができました。卒業後は仕事を始めてしまうと時間が取れなく博士号が取れないということで、すぐに就職はせず大学に残り、先天性異常の論文を書いて博士号を修得することができました。

Q.いろいろな専門をされていますが、それぞれのきっかけは何ですか?
A.インターンを通った後、初めは内科に興味があったのでないかを選択したものの、内科は自分にあっていないと感じ、外科へ転向しました。手術は楽しかったのですが、その後麻酔科に興味を持ち、その辺りから理論、手術などいろいろと経験しましたが最終的に、父と同様に産婦人科医になり、その後30年間産婦人科医としてDüsseldorfで医院営業。
現在は、遺伝子治療をきっかけに癌免疫治療専門医院を営業しています。

Q.初代欧州日本人医師会の会長ですが、発足にあたってどういう思いがあったのですか?
A.加藤先生、伊原先生とともに2006年Düsseldorfにて欧州日本人医師会を立ち上げました。ロンドン医療センターで勤務していたころ、伊原先生と話している中で、欧州にいる日本人医師は散っていて個々のコネクションがなく、孤立してさみしい思いをしている、ならば彼らのコミュニケーションの場を作ろう、そして個々の経験を共有できたらと、この会を発足するに至りました。

Q.欧州日本人医師会が現在のように大きくなってきたきっかけ、転換期は何ですか?
A.時間が大きいと思います。初めはいろいろと右往左往することもありましたが、インターネットなどを通じて新しい人が増え、徐々に会が大きくなっていき、現在のように活発な活動ができるまでに至りました。

Q.先生の原動力は何ですか?
A.私はキリスト教徒なので全くの楽観的人生観で、どんなことがあっても最終的には神様が助けてくれるという確信があったので、言葉もわからないドイツに飛び込んでも何とかなるだろうという気持ちがありました。これは今でも変わっていません。
また初めからやり直す機会が有ってとしても又同じ人生を送るでしょう。
後悔することはなにもありません。
若い後輩には,他人が希望してくる人生ではなく自分自身の希望する人生を生きろ、と言いたいです。

森山先生どうもありがとうございました。先生のバイタリティ溢れるエピソードはとても興味深く、自分ももっと精進していかなければと改めて感じました。
インタビューワー:大塚文敦 (センメルベイス医科大学)


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